先月は、車のタイヤの交換、今日は、オイルの交換で、宇多津に来ました。例のごとく、夕方です。
今日、写真を撮っていて、気がついたのですが、元旦は、満月のようです。
クリントピア丸亀
うたづ海ホタル。微妙な構図です。
2009年12月29日火曜日
2009年12月26日土曜日
今治造船 (丸亀市 蓬莱町)
今治造船の丸亀工場は、昭和町にありますが、対岸の蓬莱町から、工場を見るのが最高です。冬になると、ちょうど背景に太陽が沈んでくれます。
土曜日だったのですが、操業していました。操業していると、ライトアップも見事です。今まで何回、この風景を撮ったのか、そして、これから、何回撮り続けることか。
ローパスフィルターにゴミが付いていたようですが、気になさらずに。えっ、気になる?
土曜日だったのですが、操業していました。操業していると、ライトアップも見事です。今まで何回、この風景を撮ったのか、そして、これから、何回撮り続けることか。
ローパスフィルターにゴミが付いていたようですが、気になさらずに。えっ、気になる?
2009年12月20日日曜日
江甫草山 (観音寺市 室本町)
讃岐七富士の一つ江甫草山に登ってきました。江甫草山と書いて「つくもやま」と読み、別名は、有明富士。観音寺市 室本町の海沿いにあり、標高153.1mと低い山です。
登山口は、室本と有明浜の2箇所にあり、室本側は、羅漢寺に登山口があります。有明浜側は、未確認です。
山は、八十八ヶ所巡りにもなっていて、地蔵があちこちにあります。生えている木が若くて、ところどころ岩が露出しているので、昔は、禿山だったのではないかと思います。山頂付近は、斜面が急になっています。足元が滑りやすいところには、ロープが張ってあります。
より大きな地図で 香川県の遺跡 を表示
室本港から見た江甫草山
室本側の登山口(羅漢寺)。お寺の駐車場は、登山用に使っても良さそうです。
山頂へは、本堂の方へ行かず、右へ進みます。
ここを通って
ここを登って
ここを左に進みます。右へ行ってもいいですが、、遠回りになります。
登山道は、枯れ葉が厚く積もっていて、非常に滑りやすいです。
途中、室本港を眺める。
室本と、有明浜方面からの合流点
頂上
頂上の先に、展望所への案内があります。
展望所の様子
展望所からの眺め。有明浜です。
展望所近くからの眺め。紫雲出山方向を見る。
登ってきた道と違う道で下りてみました。
室本港周辺の眺め。
お墓の横から出てきました。
結局、ここに出ました。
羅漢寺の前に、九十九城跡の石碑がありました。
下の写真の歩道橋の上から見た江甫草山
羅漢寺へ行くには、写真中央の細い道に入るか、室本港の方から行きます。
登山口は、室本と有明浜の2箇所にあり、室本側は、羅漢寺に登山口があります。有明浜側は、未確認です。
山は、八十八ヶ所巡りにもなっていて、地蔵があちこちにあります。生えている木が若くて、ところどころ岩が露出しているので、昔は、禿山だったのではないかと思います。山頂付近は、斜面が急になっています。足元が滑りやすいところには、ロープが張ってあります。
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室本港から見た江甫草山
室本側の登山口(羅漢寺)。お寺の駐車場は、登山用に使っても良さそうです。
山頂へは、本堂の方へ行かず、右へ進みます。
ここを通って
ここを登って
ここを左に進みます。右へ行ってもいいですが、、遠回りになります。
登山道は、枯れ葉が厚く積もっていて、非常に滑りやすいです。
途中、室本港を眺める。
室本と、有明浜方面からの合流点
頂上
頂上の先に、展望所への案内があります。
展望所の様子
展望所からの眺め。有明浜です。
展望所近くからの眺め。紫雲出山方向を見る。
登ってきた道と違う道で下りてみました。
室本港周辺の眺め。
お墓の横から出てきました。
結局、ここに出ました。
羅漢寺の前に、九十九城跡の石碑がありました。
下の写真の歩道橋の上から見た江甫草山
羅漢寺へ行くには、写真中央の細い道に入るか、室本港の方から行きます。
2009年12月13日日曜日
中津万象園裏の浜 (丸亀市 中津町)
2009年12月6日日曜日
父母浜 (三豊市 仁尾町)
2009年12月5日土曜日
屋島神社 (高松市 屋島中町)
香川の東照宮。徳川家康を祀っています。
屋島神社は、屋島ドライブウェイの登り口の近くにあります。コチラのページによると、昭和48年2月12日に火事があり、本殿、拝殿が全焼したらしい。
より大きな地図で 香川県の神社 を表示
左へ進むと、屋島神社と四国村。右へ進むと屋島ドライブウェイ。
屋島神社の説明 その1
上の説明を写す。
高松藩祖 松平頼重は、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家初代頼房の長男として生まれた、寛永十九年(1642)讃岐高松十二万石を拝領し、高松藩二百三十年の礎を築いた。
頼重は、香川郡宮脇村の本門寿院(現在西宝町)の境内に、祖父にあたる徳川家康公を東照大権現として祀り、これを崇敬した。この時の御真影、家康公ゆかりの天海僧正が自筆画賛し、高松藩拝領に際して頼重に贈ったものとされ、今に伝わる。
文化十二年(1815)家康公二百年忌にあたり、高松藩八代藩主頼儀(よりのり)は、屋島山南嶺麓の冠嶽へ新たな御宮を造営し、御真影を遷座した。以来、当地において、藩主・藩士の篤い崇敬を集め、数々の武器・武具なども奉納され、後に重要文化財に指定されたものもある。
御宮と称されていた当社は、明治四年(1871)、冠嶽神社となり、さらに明治七年(1874)屋島神社と改称し、県社に列せられた。明治十五年(1882)には、藩祖頼重を合祀し現在に至っている。
葵亭。石段の途中にあります。たぶん休憩するところです。
最初の石段を上ったところ。
神庫らしい。
屋島神社の説明 その2
立派な門です。
拝殿、本殿は、この門のせいで、見えません。
彫刻は、左甚五郎の子孫のものらしい。
門の前からの眺め。
境内で見つけたもの。皇族は、ここで、乗り物から降りろという意味だと思うのですが、江戸時代ならありえるかなぁと思って、裏を見てみると。
昭和4年に建てられたものらしいです。何で、昭和になって、こんなものをわざわざ建てたのか訳が分かりません。
屋島神社は、屋島ドライブウェイの登り口の近くにあります。コチラのページによると、昭和48年2月12日に火事があり、本殿、拝殿が全焼したらしい。
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左へ進むと、屋島神社と四国村。右へ進むと屋島ドライブウェイ。
屋島神社の説明 その1
上の説明を写す。
高松藩祖 松平頼重は、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家初代頼房の長男として生まれた、寛永十九年(1642)讃岐高松十二万石を拝領し、高松藩二百三十年の礎を築いた。
頼重は、香川郡宮脇村の本門寿院(現在西宝町)の境内に、祖父にあたる徳川家康公を東照大権現として祀り、これを崇敬した。この時の御真影、家康公ゆかりの天海僧正が自筆画賛し、高松藩拝領に際して頼重に贈ったものとされ、今に伝わる。
文化十二年(1815)家康公二百年忌にあたり、高松藩八代藩主頼儀(よりのり)は、屋島山南嶺麓の冠嶽へ新たな御宮を造営し、御真影を遷座した。以来、当地において、藩主・藩士の篤い崇敬を集め、数々の武器・武具なども奉納され、後に重要文化財に指定されたものもある。
御宮と称されていた当社は、明治四年(1871)、冠嶽神社となり、さらに明治七年(1874)屋島神社と改称し、県社に列せられた。明治十五年(1882)には、藩祖頼重を合祀し現在に至っている。
葵亭。石段の途中にあります。たぶん休憩するところです。
最初の石段を上ったところ。
神庫らしい。
屋島神社の説明 その2
立派な門です。
拝殿、本殿は、この門のせいで、見えません。
彫刻は、左甚五郎の子孫のものらしい。
門の前からの眺め。
境内で見つけたもの。皇族は、ここで、乗り物から降りろという意味だと思うのですが、江戸時代ならありえるかなぁと思って、裏を見てみると。
昭和4年に建てられたものらしいです。何で、昭和になって、こんなものをわざわざ建てたのか訳が分かりません。
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