前回、いつ来たのか思い出せないくらい、久しぶりです。20年以上ぶりかも。かずら橋を渡るとき、隙間が怖かった記憶しか残っていません。
うわさに聞いていましたが、まったく秘境な感じがしません。観光地です。「かずら橋夢舞台」という、ちょっと恥ずかしい名前がついています。
かずら橋夢舞台
駐車場の様子。バイクで行ったので、外に止めました。
駐車場の奥から川をのぞいてみる。かずら橋は、見えません。
駐車場に、車を止めると、店の中を通るように誘導されます。出てくるのは、ココ。
かずら橋に向かいます。
あっという間に、かずら橋です。
かずら橋の横にかかる橋。
上の橋からかずら橋を見る。
同じく
上の橋を渡りきると、こんな感じ。
橋を渡りきってから、振り返る。
かずら橋を撮る人たち。
橋から見る「かずら橋夢舞台」。
肝心のかずら橋は、渡らずに引き返すことに。
残雪
山側はこんな感じ。
かずら橋夢舞台の反対側には、人口の滝がありました。
2011年2月26日土曜日
大歩危駅 (徳島県 三好市 西祖谷山村徳善西)
早明浦ダムに向かおうと思ったのですが、時間が遅くなりそうだったので、行き先を変更。かずら橋へ向かうことに。かずら橋へ向かう途中、大歩危駅へ寄りました。
かずら橋へ行くため、徳島県道45号(西祖谷山山城線)を使いました。
国道32号線から、徳島県道45号(西祖谷山山城線)に入るとき、大歩危橋を渡ります。
大歩危橋を渡ると、分かれ道があります。右へ行くと、かずら橋。左へ行くと、大歩危駅。
かずら橋方面
大歩危駅方面
大歩危橋の上から大歩危駅を見る
線路と大歩危橋
駅前
駅前
歩危マート
歩危マートと歩危マート2号店
駅前
駅前
駅前
駅舎の中
駅舎の中
線路側から駅舎を見る
ホーム
ホーム
駅舎から線路を渡ると、川沿いに、遊歩道があります。ほんのちょっとの遊歩道です。
遊歩道から見た吉野川
遊歩道から見た大歩危橋
前川酒店の置くに、階段がありました。
階段
階段を上っての眺め
階段を上っての眺め
かずら橋へ行くため、徳島県道45号(西祖谷山山城線)を使いました。
国道32号線から、徳島県道45号(西祖谷山山城線)に入るとき、大歩危橋を渡ります。
大歩危橋を渡ると、分かれ道があります。右へ行くと、かずら橋。左へ行くと、大歩危駅。
かずら橋方面
大歩危駅方面
大歩危橋の上から大歩危駅を見る
線路と大歩危橋
駅前
駅前
歩危マート
歩危マートと歩危マート2号店
駅前
駅前
駅前
駅舎の中
駅舎の中
線路側から駅舎を見る
ホーム
ホーム
駅舎から線路を渡ると、川沿いに、遊歩道があります。ほんのちょっとの遊歩道です。
遊歩道から見た吉野川
遊歩道から見た大歩危橋
前川酒店の置くに、階段がありました。
階段
階段を上っての眺め
階段を上っての眺め
大川橋 (徳島県 三好市 山城町)
早明浦ダムに向かう途中に、寄ってみました。この橋は、国道32号線沿い、JR土讃線祖谷口駅のすぐそばにあり、吉野川に架かっています。
吉野川の上流を眺める
上の説明を写す
大川橋の縁起
昭和10年 土讃線の開通に伴い、当地下川に祖谷口駅を誘致することは山城谷村・三縄村・東祖谷山村・西祖谷山村の各村民の悲願でありました。
各村会は祖谷口駅の設置を決議し、鉄道省に陳情を繰り返した結果、鉄道省は、大川橋(大利-下川)の架橋を条件として祖谷口駅の新設を許可致しました。
そこで川崎の酒造業・林業家の赤川庄八翁が個人で5万8千円を投じて建設し、昭和10年11月28日土讃線の開通と同時に大川橋が完成致しました。
この大川橋はこの地域の人々にとり、かけがえのない橋となり賃取り橋と呼ばれ親しまれて参りました。昭和37年12月20日、二代目赤川庄八翁が池田町に寄付し町道となり、今日に至っております。
平成19年6月24日
祖谷口地域住民有志一同 記す
吉野川の下流を眺める
敷いている板の余りのよう
吉野川の上流を眺める
上の説明を写す
大川橋の縁起
昭和10年 土讃線の開通に伴い、当地下川に祖谷口駅を誘致することは山城谷村・三縄村・東祖谷山村・西祖谷山村の各村民の悲願でありました。
各村会は祖谷口駅の設置を決議し、鉄道省に陳情を繰り返した結果、鉄道省は、大川橋(大利-下川)の架橋を条件として祖谷口駅の新設を許可致しました。
そこで川崎の酒造業・林業家の赤川庄八翁が個人で5万8千円を投じて建設し、昭和10年11月28日土讃線の開通と同時に大川橋が完成致しました。
この大川橋はこの地域の人々にとり、かけがえのない橋となり賃取り橋と呼ばれ親しまれて参りました。昭和37年12月20日、二代目赤川庄八翁が池田町に寄付し町道となり、今日に至っております。
平成19年6月24日
祖谷口地域住民有志一同 記す
吉野川の下流を眺める
敷いている板の余りのよう
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