2010年11月28日日曜日

由良山 (高松市 由良町)

一年ぶりの由良山。携帯電話のアンテナが建ったり、案内板ができたり、俳句の掲示板ができたりと、少し変わっていました。

去年、由良山に登ったときの様子は、コチラ

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南側の石切場の近くにできた案内板

上の案内板を写す

清水神社境内にある手洗い石には、元文2年江戸中期頃と記されていることから由良石の採掘は江戸初期頃と推定される。
由良石は柱状節理の雲母安山岩で、淡い茶と青色からなり、加工の容易さは江戸時代以降の墓石、石灯篭、地形石等製品の多様化に見られ特に清水神社境内にある幕末の名工内伝秀蔵の作「玉取りの龍」等で知ることができる。
加工技術の進歩と共に、昭和初期の販路は全国に拡大され、一大地場産業として栄えた。その後、戦争による中断を経て、戦後の復興期には貴重な建設資材として広く利用された。
再び、山は活気を取り戻し、連日発破のごう音、採削機のそう音の時代が続いた。そんな好景気のさなか、1966年には皇居東庭の敷石として全国より厳選、採用された。戦後約40年間の採掘量は由良石全採掘量の実に90%に達したが、山には、残念ながら深い傷痕を残す結果となった。
1980年代より、土木工事の近代化、自然保護規制の強化特に貿易の自由化等により300年に亘り時代の要求に応えてきた由良石ではあるが20世紀の終わりと共に、その歴史を閉じることとなった。
関係者一同、山への感謝の意を表しその歴史を永く後世に伝えたく、ここに碑を建立する。
2003年4月吉日


山への感謝と書いてますが、採掘業者がぼろ儲けして、山をこんな無残な姿にしたと思うと、腹が立ってきます。

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頂上へ行く分かれ道の付近から、西を眺める。

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頂上の様子。おじいちゃんが、日誌に名前を書いて、あっという間に居なくなりました。

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サンポート方面を眺める。

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真北を眺める。正面の山は屋島。


やってきた方向とは逆の北側に下りてみました。

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一番上の写真の案内板のオリジナル。

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