2010年12月4日土曜日

三郎池 (高松市 三谷町)

香川県のため池には「満濃太郎」「神内次郎」「三谷三郎」のような愛称がついた池があります。

満濃太郎 -- 満濃池 (まんのう町)
神内次郎 -- 神内池 (高松市 西植田町)
三谷三郎 -- 三郎池 (高松市 三谷町)

三谷三郎だけが、三谷池ではなく、三郎池とややこしい。満濃池が1番大きいことは確実なのですが、神内池、三郎池が、香川県で、2番目、3番目に大きい池なのかが分かりません。

神内池と、三郎池は、地理的に近いです。

三郎池の近くには、矢野古墳石船古墳があります。

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池の北側の堤防の上で、西方向を見る

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池の北側の堤防の上 で、東方向を見る

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池の北側の堤防の上 で、南方向を見る

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保存塔

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保存塔之碑

上の碑の内容を写す。

三郎池は寛永5年(西暦1628年)築造され爾来昭和の初期まで300余年の間、木造りの閘木でありました。
ここに保存されているものは三郎池築造時からの閘木であります。
三郎池の古より貴重な資料を保存すべく保存塔を建立しました。
平成5年11月吉日
香川県三郎池土地改良区

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保存塔

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保存塔

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三谷三郎池西岸釜跡

上の案内板を写す。
三谷三郎池の底には、多くの重要な遺跡が沈んでいる。なかでも、池の南部・西岸にある三谷三郎池西岸釜跡は、全国的に見ても貴重な須恵器の窯跡として知られている。須恵器は、5世紀ごろ朝鮮半島から渡来した焼き物で、陶器のこと先祖とも言える土器である。三谷三郎池西岸釜跡は、極めて古く出土した須恵器の破片から最古の段階と考えられている。従って、この三谷三郎池の周辺は、讃岐窯業の出発点とも言えるだろう。
この他に、三谷三郎池の池底からは、市内では珍しく縄文土器が出土したり、弥生時代の鉄斧が出土する等、多くの貴重な文化財が沈んでいる。池が築造される以前に栄えた文化の存在が知られる。
高松市教育委員会

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三谷三郎の"じゃ"

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三谷三郎の"じゃ"

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上の案内板を写す。
むかしむかし、三谷三郎池にはいつごろから住みついたのか母と子の"蛇(じゃ)"がいました。母親の"じゃ"は身体が大きいので、3つの谷にまたがる三郎池でもきゅうくつでした。ある日つつみでひるねをしていた子供の"じゃ"は、西の方に満濃池という大きな池ができたとういう村人の話を聞きました。さっそく「お母さん、西の方に満濃池というところがあって、たくさん水があるそうですよ。これからすぐに行ってくるといいですよ。」とすすめました。それではと母親の"じゃ"は、あるあらしの夜、たつまきになって西へ飛んでいきました。
それからしばらくたったある春の日、子供の "じゃ"がつつみであそんでいました。村の子供たちがやってきて、「三谷三郎池に"じゃ"がおるおると、大きな"じゃ"げな、うそじゃげな、わぁーい。」と、子供の"じゃ"をとりかこんではやしたてました。くやしくなった子供の"じゃ"は母親がこいしくなり泣きだしました。くやしくなった子供の"じゃ"が子供たちの中へとびこもうとしました。子供たちは、「うわぁー」と大声をあげて逃げだしました。その時です。後ろのたかーいところから「坊や、坊や」というなつかしい声が聞こえてきました。そこにはりっぱな竜になった母親の姿があったのです。それからは、母と子は三谷三郎池でいつまでもしあわせにくらしたそうです。
平成7年3月吉日
三谷地区地域おこし事業推進委員会

以下は、三郎池の様子。水が抜かれていました。

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三谷三郎大橋

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三谷三郎大橋

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