2010年12月23日木曜日

麻城跡 (三豊市 高瀬町)

拍子抜けするほど小さな城です。敵が攻めてきた時に使う城だとしても、当時の日本人はどれだけ小さかったんだと思ってしまいます。周りには、山がいっぱいあるのに、なぜ、ここに城を構えたんでしょうかね。


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香川県道23号(詫間琴平線)を走っていると、産直市場みたいなところのそばに、麻城跡の案内板が出ています。案内に従って、横道に入っていきます。それほど、狭くはないので、心配無用です。最初は、傾斜がきついかも。

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横道に入って、竹林を抜けると、下の写真の場所に出ます。

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ここに、駐車スペースがあります。ここからは、徒歩となります。麻城跡まで、10分ほど歩きます。

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しばらく行くと、竹林になります。

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途中、2箇所ほど、分かれ道がありますが、案内板にしたがって行きましょう。

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分岐点1

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分岐点2

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麻城跡の少し手前に、大きな穴があります。ここまで来たら、あと少しです。

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麻城跡に着きました

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麻城跡鳥瞰図

上の説明を写す

麻城跡は戦国時代、麻の領主・近藤出羽守国久の詰めの城である。馬の背状の城山の最高所(168m)を天守(城のてんしん)とし、東に段下りに6つのとりで(六郭)をはしご状に配し、その前後に外郭・出郭を持ち、敵に攻められたときこの城で守る。
国久は獅子ヶ鼻城主大平伊賀守国祐(豊浜町和田)の弟で、ともに天霧城主香川氏に属していた。
天正年間、土佐の長宗我部元親西讃岐に侵攻の時、麻城も落城、国久も討死にした。その谷をおじか谷(横死ヶ谷)と呼んでいる。時は天正6年(1578年推定)。

案内板から、本丸跡に向かいます。

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まず、外郭(1)跡

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外郭(1)跡から、本丸跡方向を眺める。なぜか、農業用モノレールがあります。

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本丸跡の方から、外郭(1)跡を振り返る。

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空堀(馬切)

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ねらい岩(大門石)

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第二郭跡

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本丸跡から、第二郭跡を眺める。

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本丸跡

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本丸跡にある石碑

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本丸跡から、西を眺める。朝日山森林公園のお城が見えます。

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本丸跡から、北を眺める。大麻山が見えます。

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本丸跡から、南を眺める。

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本丸跡から、東を眺める。

以下は、麻城跡のそばの竹林で撮った写真。手入れの行き届いた竹林は、見ていて気持ちいい。

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ここらへんは、手入れがされていないみたい

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