2009年9月21日月曜日

円福寺(廃寺)茶堂跡と御茶園 (丸亀市 綾歌町)

綾歌町にある快天山古墳に行く途中にあります。これに、気づいた自分を褒めてあげたいです。説明の板しかありませんが、この説明の板を読むと、日本のお茶のルーツがここにあるのではないかと、思ってしまいます。うどんのルーツは滝宮で、お茶のルーツは栗熊?


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納屋みたいな建物に説明板があります。てっきりゴミ収集の説明板かと思いました。

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上の説明を写す。

円福寺(廃寺)茶堂跡と御茶園の由来

昔から円福寺のあったこの辺りは御茶園と呼ばれる集落であった。
縁起は古く、かの弘法大師が大同元年(806年)唐より持ち帰った茶の種をこの地に播かれた事に始まる。
爾来円福寺の僧や地元民により維持管理されてきた孫々の弘法茶は金毘羅詣りの旅人にふるまわれたり、お寺で使われたりお寺で使われた茶の木は往時の茶堂跡の西側に現在も大熊家により栽培管理されている。
口碑によれば弘法大師空海が茶の栽培を授け、近くに井戸を掘らし、茶堂を建立して旅人の便をはかったと言う。
同時代に唐より持ち帰った伝教大師最澄の茶は比叡山坂本の日吉神社の御茶園で立派に管理されている。
明治十三年に老朽により倒壊した茶堂の中にはご本尊として地蔵尊が祀られてあったが、風雨にさらされているのを憂えた地元民により大正十一年に70メートル西に移転再建された。
地蔵尊には競歩十六年(1731年)辛亥吉日とある。
当時用いられていた茶釜は地区住吉公民館に保管されている。
円福寺の開基は古く平安前期、理源大師の創設と言われている。

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上の説明板の向かいに、綾歌十景「こんぴら道」があります。どうやら、「こんぴら道」は他にもあるらしい

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