瀬戸大橋記念公園に来たついでに、沙弥島に行ってみることに。
瀬戸大橋記念公園のすぐ横に、東山魁夷せとうち美術館があります。瀬戸内国際芸術祭と関係があるのかないのか分かりませんが、人の数などは、いつもとあまり変わりませんでした。
非常に手入れの行き届いたサッカー場があります。
沙弥島案内板。沙弥島には、沙弥(しゃみ)島自体、変な読み方なのですが、ナカンダ浜、タンポなど、変わった地名があります。外国の言葉に由来しているのでしょうかね。
ナカンダ浜に向かっていると、民家の横に古墳の案内が出ていました。
案内板は、まさしく、民家の横。
古墳を目指していると、こんな案内板が。「愛恋無限文学碑?何だ、この恥ずかしい名前は」と思いながら進みます。
「白石古墳、右へ50m林の中」の案内
そこには、白石古墳広場が広がっていました。
白石古墳広場の様子。残念ながら、白石古墳を見つけることが出来なかったので、また、来ます。
白石古墳広場を過ぎ、さらに進むと、タンポの石棺の案内板があります。左に入ると、すぐ、タンポの石棺があります。
タンポの石棺の説明
海を見おろす突端につくられた組み合わせ式石棺で、安山岩、花崗岩の板石を組み合わせた長さ約1mの小型石棺。その位置や規模から船旅の途中で死んだ子供の墓とも考えられる。
環境庁 香川県
タンポの石棺。ものすごく小さいです。よく、工事中に、壊されずに、保存されたものです。
タンポの石棺から、さらに進むと、長崎鼻があります。上の写真は、長崎鼻から眺めた瀬戸大橋
長崎鼻からの眺め。
長崎鼻石棺
長崎鼻と白石古墳広場の間に、海岸にオソゴエの浜に降りる道があります。オソゴエの浜に愛恋無限文学碑があります。
坂出市出身の作家中河与一氏が昭和10年朝日新聞に連載した小説「愛恋無限」は、愛の尊厳をうたいあげて日本文壇に新風をおこしたもので、その心は、柿本人麿(人麻呂)の石中の死人を視て作った歌に通うものがある。この小説の最終にここ沙弥島の自然が描かれていることから、昭和52年全国有志によって建立された碑である。
環境庁 香川県
愛恋無限文学碑。坂出市のページによれば、碑面(愛恋無限)の備前焼陶板は,人間国宝・藤原啓氏の作らしい。
愛恋無限文学碑。
ナカンダ浜から見た瀬戸大橋
2010年10月30日土曜日
瀬戸大橋記念公園 (坂出市 番の州緑町)
2010年10月27日水曜日
法然寺の五重塔 (高松市 仏生山町)
ちょうど去年、五重塔が建てられているところに、行ったのですが、もう、出来ているであろうと思い、行ってみました。パッと見は、できてましたが、2月に竣工で、3月に落成みたいです。
善通寺の五重塔を見慣れているせいか、法然寺の五重塔は、とても小さく見えます。
瓦には、丸に三つ葉葵の紋が入っています。
以下は、法然寺を散策して撮った写真です。
善通寺の五重塔を見慣れているせいか、法然寺の五重塔は、とても小さく見えます。
瓦には、丸に三つ葉葵の紋が入っています。
以下は、法然寺を散策して撮った写真です。
2010年10月24日日曜日
仁尾町
小学生の頃、夏休みになると、父に、詫間、仁尾へよく連れていかれました。懐かしくて、よく足が向きます。昔と比べて、道が良くなって、気楽に行けます。昔は、陸の孤島みたいなところでした。
歩き出したときは、雨は降っていなかったのですが、だんだん雨足が速くなってきたので、車に戻りました。
どうやら、エビを養殖しているらしい。
仁尾町には、仁尾酢を醸造している中橋造酢株式会社があります。「海上交通の便が良く、良水に恵まれていた」ので、酢の生産が盛んだったらしいですが、こんな海沿いで良い水なんかあったんでしょうか。
覚城院の鐘楼。桃山時代のもので、重要文化財。
覚城院
覚城院
覚城院は、元々仁尾城があったところに、移動してきたそうです。
二人ほどお客さんがいて、麺をすすっていました。
歩き出したときは、雨は降っていなかったのですが、だんだん雨足が速くなってきたので、車に戻りました。
どうやら、エビを養殖しているらしい。
仁尾町には、仁尾酢を醸造している中橋造酢株式会社があります。「海上交通の便が良く、良水に恵まれていた」ので、酢の生産が盛んだったらしいですが、こんな海沿いで良い水なんかあったんでしょうか。
覚城院の鐘楼。桃山時代のもので、重要文化財。
覚城院
覚城院
覚城院は、元々仁尾城があったところに、移動してきたそうです。
二人ほどお客さんがいて、麺をすすっていました。
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