2009年6月14日日曜日

王尾内記と権太夫の墓 (まんのう町羽間)

場所は、琴平ドライビングスクールの横です。これが何かというと、江戸時代、ある人たち(A)が、権力の大きなもの(B)を訴えたが、逆にAの一族が処刑されてしまう。後、Bに不幸が重なり、怨霊を鎮めるために建立されたものです。

以下、説明の写し
慶長年間、王尾市良太夫は大井八幡宮と金毘羅三十番神の兼帯社人であった。その長男を松太夫といった。寛文十年(1670)八月松太夫の子内記と松太夫の弟権太夫の両名は、金毘羅大権現の経営に関して金光院を相手として訴えを起こした。

幕府の寺社奉行はこれを受理し、その旨を高松藩に伝えた。高松藩は金光院に対して訴人と和解することをすすめたが、金光院はこれに応じなかった。幕府は双方の出府を求め決断所において審判を行った。封建制下の常として内記と権太夫は敗訴となり、寛文十一年(1671)十一月十一日、その一族は高松藩によって、祓川の刑場で処刑された。

その後、金光院においては不幸が相次いで起こりこれを内記等の怨霊のたたりとし、約二百年後の文久三年(1863)十一月処刑地の権太原に慰霊碑を建立して供養した。


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説明

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王尾内記と権太夫の墓

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琴平ドライビングスクールの横のここから入っていきます。

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土器川の堤防側からも入っていけます。すぐ横に、琴電が走っています。

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