2011年2月26日土曜日

大歩危駅 (徳島県 三好市 西祖谷山村徳善西)

早明浦ダムに向かおうと思ったのですが、時間が遅くなりそうだったので、行き先を変更。かずら橋へ向かうことに。かずら橋へ向かう途中、大歩危駅へ寄りました。

かずら橋へ行くため、徳島県道45号(西祖谷山山城線)を使いました。

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国道32号線から、徳島県道45号(西祖谷山山城線)に入るとき、大歩危橋を渡ります。

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大歩危橋を渡ると、分かれ道があります。右へ行くと、かずら橋。左へ行くと、大歩危駅。

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かずら橋方面

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大歩危駅方面

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大歩危橋の上から大歩危駅を見る

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線路と大歩危橋

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駅前

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駅前

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歩危マート

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歩危マートと歩危マート2号店

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駅前

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駅前

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駅前

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駅舎の中

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駅舎の中

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線路側から駅舎を見る

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ホーム

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ホーム

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駅舎から線路を渡ると、川沿いに、遊歩道があります。ほんのちょっとの遊歩道です。

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遊歩道から見た吉野川

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遊歩道から見た大歩危橋

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前川酒店の置くに、階段がありました。

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階段

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階段を上っての眺め

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階段を上っての眺め

大川橋 (徳島県 三好市 山城町)

早明浦ダムに向かう途中に、寄ってみました。この橋は、国道32号線沿い、JR土讃線祖谷口駅のすぐそばにあり、吉野川に架かっています。

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吉野川の上流を眺める

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上の説明を写す

大川橋の縁起
昭和10年 土讃線の開通に伴い、当地下川に祖谷口駅を誘致することは山城谷村・三縄村・東祖谷山村・西祖谷山村の各村民の悲願でありました。
各村会は祖谷口駅の設置を決議し、鉄道省に陳情を繰り返した結果、鉄道省は、大川橋(大利-下川)の架橋を条件として祖谷口駅の新設を許可致しました。
そこで川崎の酒造業・林業家の赤川庄八翁が個人で5万8千円を投じて建設し、昭和10年11月28日土讃線の開通と同時に大川橋が完成致しました。
この大川橋はこの地域の人々にとり、かけがえのない橋となり賃取り橋と呼ばれ親しまれて参りました。昭和37年12月20日、二代目赤川庄八翁が池田町に寄付し町道となり、今日に至っております。
平成19年6月24日
祖谷口地域住民有志一同 記す

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吉野川の下流を眺める

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敷いている板の余りのよう

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2011年2月6日日曜日

鮎返りの滝 (三豊市 財田町財田上)

財田町にある戸川ダムを探している途中に見つけた滝です。この滝は、戸川ダムの上流に位置します。


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ダムがないかなぁと、渓道橋にバイクを止める

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橋の上から下を見てみると、やたら人の手が入った川底が見えます。川底ではなく、遊歩道のようです。

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橋の入口に「鮎返りの滝」の看板がありました。川に下りようと回りを見渡しましたが、見当たらなかったので、看板のところから強行突破することにしました。川まで、とても急な坂です。

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下りてみると滝が見えました。


動画

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滝の周りの様子

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滝の周りの様子。工事をするらしく、杭があちこちに立っています。

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川から渓道橋を見上げる

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滝のそばに石碑があります。

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鮎返りの滝と三島毅の説明

上の説明を写す。

昭和32年(1957)に戸川ダムが完成したが、それ以前春の若鮎が財田川の上流をめざしてのぼってくるとき、この滝のためにこれ以上進むことができなかったと伝えられている。そして、滝壺近くは、貝の化石がよく発見されたところでもある。
川床が高くなったため、往年の雄大さをしのぶことができなくなったが、「讃州府志」には
鮎返りの滝 財田村にあり暴流豪雄大にして四時詠観に佳なり
往古空海本山寺を創建するに当り材を此山林に採り時々斧を瀑下の
岩片に琢磨す因て附近の地を砥川と称す即ち四国新道の要所に
して旅館三四あり陣馬の往来常に絶へす又詩人墨客の曳杖するも
の尠からずと云う。
と記されている。

明治26年(1893)8月、大久保諶之丞記念碑の文案作りのため漢学者三島中洲先生が当地にこられ、この滝をみ、感動して詠まれたのが次の詩です。

鮎返瀑布
白水千尋懸碧穹
涼風満地暑威空
香魚知返人忘返
立盡轟雷飛雨中

これが碑文となっており、春の新緑、夏の蝉時雨、秋の紅葉、
冬の薄氷など四季折々の景観が、訪れる人々の目を楽しませてくれます。
平成12年3月 財田町教育委員会


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石碑

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橋の上から捨てられたゴミ (まんのう町四條にお住まいの橋村さんが捨てたゴミらしい)

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滝から川を下ると上へ行く道がありました

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カーブミラーの横から出てきました。左に下って行くと、道の駅「たからだの里さいた」に行きます。右に登って行くと老人ホームがあります。

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道を登って行くとそば屋みたいなのがあります。一人では入りにくそう。

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老人ホーム「諶之丞の丘」

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老人ホームの駐車場の一角に、石碑を見つけました。

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忠誠塾
尽誠学園発祥之地

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上の説明を写す。

四国山脈の緑深く、中を流れる水清き財田の里、
この好き郷に生を享けた大久保彦三郎(安政6年~明治40年)先生は、この戸川の血に明治15年、私塾、17年「忠誠塾」を開き、陽明学を基本理念として、近隣女子の教育にあたる。
20年、塾を京都に移し、「盡誠舎」として、全国的な人材の育成に務める。
不幸、病に倒れ帰郷するも、小康を得て、満濃町の四条、そして善通寺市の現在地に学舎を移し、あるいは師範部・女子部を設け、その中核としての「盡誠中学校」の充実発展に尽瘁す。
花は開き、今や、学校法人尽誠学園として善通寺市に尽誠学園高等学校・香川看護専門学校、宇多津町に香川短期大学・同附属幼稚園、高松市に香川誠陵中学校・高等学校を擁する総合学園となる。
なお、学校の教育理念(校訓 愛・敬・誠)を実践の場に活かすべく社会福祉法人尽誠福祉会を創設し、善通寺市ののぞみ保育園につづいて、財田町に特別養護老人ホーム「諶之丞の丘」を開設している。
発祥の地に生き、その学舎に学ぶという縁に結ばれた幸せを喜び、併せて母校の淵源を偲ぶようすがにしたいと財田町の同窓生、多くのひとのご理解・ご支援を得て、ここにその記念碑を建つ。
尽誠学園高等学校長
白井加寿志撰


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