綾歌町に住んでいたら小学校、中学校で教えてくれるかもしれませんが、綾歌町に四国最大級の古墳があります。丸亀市のページによると、
・日本最古の石棺をもつ
・前期古墳としては、四国最大の前方後円墳、瀬戸内地域全体でも7番目の大きさ
・被葬者は中央にもつながる権力者で、東四国もしくは四国全体を治めていたことが推測される。
そんなビッグな人がこんなところにいたなんて。
さらに、Wikipediaによると、
・四国第2、古墳時代前期に限れば瀬戸内地方で6番目の規模を有する。(四国で一番大きいのは、さぬき市にある富田茶臼山古墳らしい。)
・平成16年9月30日に国の史跡に指定され、保存措置が講じられることとなった。現在、史跡公園として整備されることが期待されている。
らしいです。
古墳のところにあった案内板によると、名前の由来は以下のようになっています。
「住吉神社の西南100m付近にところにあった真言宗 円福寺(えんぷくじ)の僧権大僧都法印快天(そうごんだいそうずほういんかいてん)(1741年没)の卵塔が後円墳部頂上に建っていることより快天山古墳と呼ばれるようになりました。」
古墳のそばに、駐車場というか、空き地があるので、古墳まで車で行けます。古墳までの道は、それほど狭くないので、安心してください。
大きな地図で見る
国道32号線沿い、南から見た古墳です。赤い丸の部分が古墳です。
(赤い丸の左の山も古墳で、えらい大きいと思ったのですが、古墳ではないです。)
国道32号線沿いに、快天山古墳に入る道があります。短い坂道を登りきったところの信号機のある交差点です。場所はココです。この写真にちょっと写っているのですが、国道32号線をはさんで、向かい側に、堤山(羽床富士)と呼ばれる形のいい山があります。
信号機に、快天山古墳の案内があります。
先ほどの案内板の道から行くと、遠回りで古墳まで車で来れます。比較的大きな駐車スペースがあります。実は、もう一つ手前の道に入ると、古墳の下にすぐ着きますが、駐車する場所がありません。
出来立ての看板らしく、とてもきれいです。
案内板に、付近の古墳も載っていました。
以下は、古墳の様子です。
まさしく、整備中。自然破壊でもある。
前方部の横
前方部から、後円部を見る
後円部の様子。後円部には、石棺が3基露出しています。
後円部
前方部から、後円部を見る
後円部から、前方部をみる。
後円部の様子
後円部の様子。卵塔の前に、大きな石棺が露出しています。
*** おまけ ***
琴平側に一個手前の道も、古墳への入り口です。場所は、ココです。
国道32号線からすぐ、ここにたどり着きます。このスロープを登ったところが古墳です。
0 件のコメント:
コメントを投稿