なぜこの神社を、訪れたかと言えば、満濃池の横にある神野古墳群の説明に、まんのう町に富熊神社南古墳というものがあると書かれていたからです。まんのう町内で、富熊神社を探したのですが、見つかりません。一番それらしいものが富隈神社です。
富隈神社の境内の中に、木食善住上人の入定塔があります。その辺が、公文山古墳群と呼ばれる場所らしいのですが、行ってみると、古墳らしくないです。ちなみに、木食善住上人の入定塔のある場所は、琴平町らしいです。
公文山古墳群と富熊神社南古墳は、同じものを指すのでしょうか?富隈神社の南にあるわけでもないんですよね。漢字も違うし。
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富隈神社がある公文山を南から眺める。
富隈神社へ向かう道。旧金比羅街道(丸亀街道)の一部でもあります。
富隈神社の鳥居の前
「富隈神社」の説明
「木食善住上人の入定塔」の説明。木食善住上人は、明治に入ってなくなられているので、それほど古い人ではないようです。
「木食善住上人の入定塔」の場所
石段を上ります。
拝殿の手前の広場
拝殿の前から、東のほうを眺める。
拝殿
拝殿の左側
本殿と拝殿を後から
「木食善住上人の入定塔」の少し手前
「木食善住上人の入定塔」の説明。上の説明と同じ内容です。
木食善住上人の入定塔
「木食善住上人の入定塔」をさらに置くに進むと、KDDIとドコモのアンテナがあります。
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