2012年5月26日土曜日

霧の森 (愛媛県 四国中央市 新宮町馬立)

高速道路を使わず、こんなところに、誰が来るんだ。私です。

125ccのバイクだったので、下道を使わざるをえなかったのですが、このあたり、霧の森以外、何もないです。

江戸時代には、川之江と高知を結ぶ土佐街道の途中にあり、土佐藩の参勤交代の際は、ここに本陣を敷いたらしい。

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愛媛県道・高知県道5号(川之江大豊線)沿いにある 道の駅 霧の森の駐車場。

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県道5号の対向にある橋を渡って、対岸に行きます

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橋の上から、下を見る。沈下橋みたいなものが見えます。

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橋を渡り終え、左には、「霧の森交湯~館」があります。

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橋を渡り終え、右には、長いスロープがあります。

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橋を渡り終え、正面には、ステージがあります。

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渡ってきた橋

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ステージ前のひろばは、工事中でした。

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広場の奥にあった新宮街道観音。お銚子を逆さにしています。

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広場のそばに馬立本陣があります。

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馬立本陣の説明

上の説明を写す

馬立本陣
土佐藩が六代藩主山内豊隆候の享保三年(1718年)から十六代藩主山内豊範候の分久二年(1862年)までの間に渡り、参勤交代の際に本陣としていた屋敷跡。
建物は明治30年の火災で消失してしまったが、約1000平方メートルにも及ぶ敷地は石垣の上に高さ1.8mのじゅうがんを備えた土塀で囲まれており、内側は御殿、藩士宿所等のほか、駕籠が50丁並ぶほどの広大な庭があったと言われている。
正門は明治初期に金川村(市内金田町)の円徳寺に移築されていたものが、昭和58年に返戻され元の場所に復元されたものであり、石垣と並び当時の面影を残している。
なお、正門までの登りは現在石段であるが、当時は勾配がもっとゆるく、たたきであった。
四国中央市教育委員会


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正門、これだけが当時のものらしい。

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正門の内側。窓がガラスだと思ったら、民家でした。

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馬立本陣を背に、現代の建物に向かいます。

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霧の森茶フェ

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階段を登ると、池がありました。

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池の鯉

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茶フェ ゆるり

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池のつきあたり

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霧の森茶フェの上の様子

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霧の森茶フェの上からの眺め。後ろに高速道路が見えます。

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街道茶店~聴水庵~

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街道茶店~聴水庵~

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街道茶店から、川に降りる途中、建物の下に大きなタンクを見つけました。

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大きなタンク

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川のさらに先

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霧の森レストラン

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霧の森ふれあい館

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