2010年12月4日土曜日

日山 (高松市 三谷町)

三郎池に来たついでに、その横にある日山に登りました。前回は、小日山まで登ったのですが、今回は、最後まで行きます。

三谷三郎大橋の近くにある登山道から登ると、小日山はあっという間に、登れます。

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小日山の頂上付近から見た三郎池

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小日山の頂上にある展望台。木が邪魔で、眺めはあまりよくありません。

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小日山の頂上から、北方向を望む

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小日山の頂上から、北東を望む。写真の左に、岩がむき出しになった由良山が見えます。

小日山の頂上のさらに奥へ進むと、日山の頂上へ行けます。

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頂上へ行く途中、岩むき出しのきつい斜面があります。

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日山の頂上の様子。

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日山の頂上からの眺め。写真の中央付近のテーブル状の山は、屋島。

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日山の頂上にある三角点

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標高191.7m

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日山の頂上からの眺め。ここも、木が邪魔で、眺めは、あまりよくありません。

頂上で、先ほど来た道とは、反対方向にも道があったので、いい眺めを期待しながら、そちらから帰ってみることにします。

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いい眺めを期待

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西に向かって、下りていきます。途中、正面に、六ツ目山・伽藍山が見えます。

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さらに、下りていくと、法然寺が見えます。

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写真の中央に、法然寺の五重塔が見えます。

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山を下りていると、御衣黄と書かれた札のかかった木がありました。

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御衣黄

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ここまでは、車で来られます。

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駐車場もあります。

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でも、道はすごく狭いです。

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先ほどの駐車場から、さらに下りていくと、石切り場のようなところがあります。

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石切り場みたいなところからの眺め。ここからの眺めは、最高です。

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由良山の代わりに採掘されたんでしょうか。

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石切り場みたいなところの様子。

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石切り場みたいなところの様子。

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ここに出ます。車で上るには狭いです。

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上の出口からさらに下りて、日山を見る。

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最終的に、香川県道12号(三木国分寺線)の、この場所に出てきました。

三郎池 (高松市 三谷町)

香川県のため池には「満濃太郎」「神内次郎」「三谷三郎」のような愛称がついた池があります。

満濃太郎 -- 満濃池 (まんのう町)
神内次郎 -- 神内池 (高松市 西植田町)
三谷三郎 -- 三郎池 (高松市 三谷町)

三谷三郎だけが、三谷池ではなく、三郎池とややこしい。満濃池が1番大きいことは確実なのですが、神内池、三郎池が、香川県で、2番目、3番目に大きい池なのかが分かりません。

神内池と、三郎池は、地理的に近いです。

三郎池の近くには、矢野古墳石船古墳があります。

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池の北側の堤防の上で、西方向を見る

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池の北側の堤防の上 で、東方向を見る

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池の北側の堤防の上 で、南方向を見る

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保存塔

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保存塔之碑

上の碑の内容を写す。

三郎池は寛永5年(西暦1628年)築造され爾来昭和の初期まで300余年の間、木造りの閘木でありました。
ここに保存されているものは三郎池築造時からの閘木であります。
三郎池の古より貴重な資料を保存すべく保存塔を建立しました。
平成5年11月吉日
香川県三郎池土地改良区

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保存塔

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保存塔

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三谷三郎池西岸釜跡

上の案内板を写す。
三谷三郎池の底には、多くの重要な遺跡が沈んでいる。なかでも、池の南部・西岸にある三谷三郎池西岸釜跡は、全国的に見ても貴重な須恵器の窯跡として知られている。須恵器は、5世紀ごろ朝鮮半島から渡来した焼き物で、陶器のこと先祖とも言える土器である。三谷三郎池西岸釜跡は、極めて古く出土した須恵器の破片から最古の段階と考えられている。従って、この三谷三郎池の周辺は、讃岐窯業の出発点とも言えるだろう。
この他に、三谷三郎池の池底からは、市内では珍しく縄文土器が出土したり、弥生時代の鉄斧が出土する等、多くの貴重な文化財が沈んでいる。池が築造される以前に栄えた文化の存在が知られる。
高松市教育委員会

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三谷三郎の"じゃ"

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三谷三郎の"じゃ"

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上の案内板を写す。
むかしむかし、三谷三郎池にはいつごろから住みついたのか母と子の"蛇(じゃ)"がいました。母親の"じゃ"は身体が大きいので、3つの谷にまたがる三郎池でもきゅうくつでした。ある日つつみでひるねをしていた子供の"じゃ"は、西の方に満濃池という大きな池ができたとういう村人の話を聞きました。さっそく「お母さん、西の方に満濃池というところがあって、たくさん水があるそうですよ。これからすぐに行ってくるといいですよ。」とすすめました。それではと母親の"じゃ"は、あるあらしの夜、たつまきになって西へ飛んでいきました。
それからしばらくたったある春の日、子供の "じゃ"がつつみであそんでいました。村の子供たちがやってきて、「三谷三郎池に"じゃ"がおるおると、大きな"じゃ"げな、うそじゃげな、わぁーい。」と、子供の"じゃ"をとりかこんではやしたてました。くやしくなった子供の"じゃ"は母親がこいしくなり泣きだしました。くやしくなった子供の"じゃ"が子供たちの中へとびこもうとしました。子供たちは、「うわぁー」と大声をあげて逃げだしました。その時です。後ろのたかーいところから「坊や、坊や」というなつかしい声が聞こえてきました。そこにはりっぱな竜になった母親の姿があったのです。それからは、母と子は三谷三郎池でいつまでもしあわせにくらしたそうです。
平成7年3月吉日
三谷地区地域おこし事業推進委員会

以下は、三郎池の様子。水が抜かれていました。

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三谷三郎大橋

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三谷三郎大橋

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