昨日、府中ダムに行ったつながりで、今日は、府中にある史跡めぐりをしました。香川県にゆかりがあり、教科書にも出てくる有名人としては、空海(弘法大師)、菅原道真などがいますが、忘れていけないのは、崇徳天皇(上皇)でしょう。保元の乱に敗れた崇徳天皇(上皇)は、讃岐国に流刑に処されます。当時の讃岐国の中心だった府中を中心に崇徳天皇(上皇)ゆかりの地が多くあります。このページによると、崇徳天皇(上皇)は暗殺されたかもしれないそうです。亡くなられた後、菅原道真と同様に、祟りもあったそうです。
八十場名物ところてんの清水屋さんの崇徳天皇ゆかりの地が非常によくできています。
この史跡めぐりにあたっての最大の問題は、車を駐車するところでしょう。瀬戸福祉会瀬戸療護園に行く途中の川沿いのここに縦列駐車するスペースがありました。城山神社以外は、比較的近くにまとまっています。
写真をクリックすると大きく表示されます。府中にある史跡の説明の案内板です。
今回訪れたのは、以下の場所です。
・開法寺塔跡 -- 菅原道真の詩文集に出てくるお寺の塔の跡
・讃岐国府跡 -- 今でいう県庁
・鼓岡神社(つづみがおかじんじゃ) -- 崇徳上皇が6年間過ごされた場所
・内裏泉 -- 崇徳上皇が飲料水として使っていた泉
・菊塚(きくづか) -- 崇徳上皇の子供(男)の墓
・碗塚(わんづか) -- 崇徳上皇が使われていた食器を埋葬した場所
・印鑰(いんやく)明神碑 -- 国庁の印と鑰を保管していた場所
・城山神社 -- 神社
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=== 開法寺塔跡 ===
府中ポンプ場の横に、入り口があります。
碗塚のそばにある現在の開法寺。集会場のような雰囲気。
=== 讃岐国府跡 ===
この案内板から100mほどの所にあります。
讃岐国府跡 を裏側から見る。とても地味です。
=== 鼓岡神社 ===
崇徳天皇が詠まれた歌の碑
瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
私の高校時代の古文の先生は、滝川は、滝宮のことだとこじつけていました。
上の歌の碑のすぐ横にある「杜鵑塚(ほととぎす塚)」
神社の横にある「擬古堂」。
同じく「擬古堂」
ここの「あれこれ話」によれば、五色台と城山の間に、山があって、その山を埋め立てに使ったという面白い話があります。
=== 内裏泉 ===
家の横にあります。横のブロックは、家の塀です。
中をのぞいて見ると、ペットボトルが沈んでいました。水深は深くないようです。
=== 菊塚 ===
姫塚もあり、こっちは、女の子。
庭の一部といってもいいくらい。
菊塚のよこにある祠
=== 碗塚 ===
畑の中にあり、ちょうど主のおばあちゃんがいたので、許可をもらって、撮影しました。おばあちゃんと話したことによると、
・今まで何回か発掘したけど、何も出なかった。
・行政は何もしないで、ボランティアの人たちが面倒を見ている。
だそうです。
現在の開法寺の壁に貼られた案内板。状次 (今の郵便局)、聖堂(今の大学)を、見つけることはできませんでした。
聖堂では、空海も勉強したらしい。
写真の中に、碗塚も写っています。見過ごしそうです。
畑の中にあります。
=== 印鑰(いんやく)明神碑 ===
「府中?奬學義田(府中?奨学義田)」とあります。?の部分が読めない。
別の面に「国府印鑰明神遺跡」とあります。
=== 城山神社 ===
城山は、つい最近書いたように、昔、朝鮮式山城があったので、城山という名前なので、城 --> 山の名前 --> 城山神社 の時代の流れとなります。あと、城山神社までの道は、極端に狭いです。車で行くと後悔すると思います。
詳しい情報については、こちらにあります。
拝殿と狛犬
拝殿
なぜか土俵があります。
境内の様子
拝殿の横、本殿を拝むためには、はしごを昇る
本殿。結構、凝っています。
日露戦争の戦利品だそうです。大砲の弾と石碑がありました。
石碑には、陸軍大臣 寺内正毅の名前があります。寺内正毅は、第18代内閣総理大臣になっています。
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