琴平町 苗田に駐車し、日柳燕石の墓に訪れ、こんぴら丸亀街道を通って、車まで戻りました。途中、旗岡神社、大歳神社、雲気八幡宮に寄りました。この日、歩いた距離は、8kmほどになりました。
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旗岡の鳥居 (丸亀街道ではない)
旗岡の鳥居の神額。「象頭山」とあります。(丸亀街道ではない)
旗岡の鳥居から、高松側(北東)を見る。(丸亀街道ではない)
旗岡の鳥居から、金比羅側(南西)を見る。この先を進むと、すぐ旗岡神社があります。(丸亀街道ではない)
旗岡神社の道に面するところにある道標。左に行けば、丸亀街道。右に行けば、高松街道。(丸亀街道ではない)
この道標は、明治39年のものらしいです。(丸亀街道ではない)
写真中央の電信柱の裏に、道標があります。(丸亀街道ではない)
旗岡神社の鳥居の前から、旗岡の鳥居を見る。(丸亀街道ではない)
丸亀街道の方へ進むと、琴電 榎井駅があります。(丸亀街道ではない)
丸亀街道に入ったところの湧き水。
天領代官所跡
上の説明を写す。
寛永十九年徳川幕府は、苗田村、榎井村、五条村、五毛村を天領と定め幕府が直接治めることになりました。そして、この天領からあがる年貢は満濃池の改修や用水路の整備等の費用にあてられました。
代官所は、金毘羅参詣道の丸亀街道に沿った苗田村のこの地に設けられ、幕府からの命ぜられた初代の代官守屋与三郎がその職に当たりました。この代官所の近くには、守屋一族の墓地等があります。
天領代官所跡の周りの様子。普通の家で、面影はありません。
街道途中の風景。遠くに、讃岐富士が見えます。今も何もありませんが、昔は、もっと何もなかったのでしょう。
百二十四丁の丁石
横には、寄贈者らしき名前が彫られています。
百二十四丁の丁石から、こんぴら方向を見る。
百二十四丁の丁石から、丸亀方向を見る。
途中の電信柱に、こんぴら街道の目印がありました。
この辺りから道が広がりますが、創価学会琴平文化会館の横で、道が狭くなります。
ここにも、湧き水がありあました。四角い穴の中で魚が10匹ぐらい泳いでました。
百十丁。新しいです。
百十丁のところにあった説明。
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