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二十丁の道標と燈籠

二十丁の道標のところにある燈籠

二十丁の道標、最近、建てられたものです。

起点石から、1.6km
県道33号線を横断するまで、収穫なし。

県道33号線を横断して、県道205号に入ったのですが、こんぴら丸亀街道から外れたようです。205号に入って、33号線をはさんで、204号を見る。写真の中のローソンの後に、丸亀高校武道館があります。

丸亀市立西中学校の校舎の解体工事をしていました。

丸亀市立西中学校の校舎の解体工事。

丸亀市立西中学校の校舎の解体工事。フェンスの中をのぞいてみる。

味のある建物を発見

何をするためのものかは、不明です。

南条町の燈籠

南条町の燈籠。南から撮影。

南条町の燈籠。北から撮影。

南条町の燈籠。明和元年(1764)に建てられる。

南条町の燈籠。燈籠の足元には、馬乗石らしきもの(黒い部分)があります。

田宮坊太郎のお墓への道標。「すぐこんぴら道」と読めるのは気のせい?

道標は、弘化四年(1847年)に建てもれたもの。

田宮坊太郎のお墓への道標。田宮坊太郎って誰?と思いながら、行くことに。

途中、若江薫子のお墓の道標がありました。行ってみましたが、お墓が多すぎて、探すのを断念しました。

田宮坊太郎のお墓を目指していると、立派な門と土壁がありました。

京極高朗のお墓らしい。
上の説明を写す。
万治元年(1658)播州竜野城主 京極高和が丸亀城主になって以来、明治二年の版籍奉還まで七代 二百十年にわたり、西讃岐は京極家によって統治された。七人の藩主のうち、五人までは滋賀県坂田郡清滝の徳源院に墓があるが六代藩主 高朗の墓所だけが、丸亀市南条町の玄要寺境内にある。南北約9m、東西約20mの土塀に囲まれた中に、【従五位京極高朗之墓】と刻まれた墓石があり、その前に二対の灯篭と鳥居が建つ。門や扉には京極家の四ツ目の家紋が刻まれている。
高朗は二代藩主 高豊と並ぶ名君で、文化八年(1811)14歳で丸亀藩主となり、嘉永三年(1850)まで実に40年にわたって、丸亀発展の礎を築いた。詩文に長じ、字は、季融、琴峰、陶水と号し約一万首の漢詩を創り、名著「琴峰詩集」もある。藩主としても、新堀湛甫の築造、扇子作りの奨励をはじめ、海運、産業、文化に不滅の功績を残し、明治七年(1874)77歳で没した。

門に鍵がかかっていて、中に入れませんでした。カメラを突っ込んで、撮影。

京極高朗のお墓

土壁の南にも、立派な墓があります。

京極家と関係がありそうです。

向きを変えて。

田宮坊太郎のお墓です。田宮坊太郎は、父親の仇討ちのために生きた人のようで、浄瑠璃「花上野誉碑」の題材になっているようです。

お墓です。かなり風化が進んでいます。

田宮坊太郎のお墓の周りの様子です。田宮坊太郎の墓も写っています。

田宮坊太郎のお墓の周りは、かなり荒れていました。

荒れ放題です。


猪熊弦一郎現代美術館と思っていたのですが、市立中央図書館でもあったんですね。

帰りにもう一度、撮影。
結局、中府の鳥居は、見つかりませんでした。県道204号線を突っ切るとダメで、どこかで、左折する必要があるらしい。
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