今日は、夏休みをとって、イオン綾川に映画を見に行きました。映画が始まるまで、近くの北條池の周りを散策しました。
国道32号線を、高松から琴平方面に向かう途中、イオン綾川の手前に、北條池に架かる橋があります。車で橋を渡ると一気に通り過ぎてしまい、池の大きさが分かりませんが、北條池は、かなり大きいです。
北條池改修記念碑より写す
北條池は坂出平野700ヘクタール余の水田を潤し、かつて満濃太郎、北條次郎と詠われたように綾川水系で最大規模を誇り、古代条里の名残である「綾北條」にちなみ北條池と呼ばれるようになったと伝えられる。
古代条里の開拓で早くから拓けた綾北條は、県内有数の穀倉地帯として知られているが、北條池が築造されるまでは綾川の流水に頼るほかなく、相次ぐ干ばつや度重なる氾濫に困窮していた。この綾北農家の憂いを見かねた阿野郡林田村の財豪宮武清八景秀が自ら資材を投じて、矢延平六によって延宝年間に創築されたものであると記録に標されている。
この綾北地域に大きな役割を果たしてきた北條池も、築造後、300年余りを経て老朽化が進み、早期改修が強く望まれていた。そこで、平成5年に着工した国営総合防災事業により、最新の技術力によって新しく生まれ変わった。
一新された北條池が穀倉地帯である坂出平野を潤し、「農は国の礎」と言われるように、農業の振興により地域がますます発展することを願い、ここに改修記念碑を建立する。
香川県のページにも説明があります。
北條池は、府中湖とつながっているのですが、そのつながっている箇所に、萱原橋が架かっています。面白いことに、北條池と府中湖は、単純につながっていません。水面に高低差があるらしく、堰があります。北條池と府中湖の水面は、3mくらい高低差がありそうです。
北條池の周りを歩いてみると、池の周りに、死んだ魚が打ち上げられ、腐った臭いがしてました。あと、その死んだ魚をねらって、カラスが群れてました。あまり、いい印象が残りませんでした。
北條池の岸には、讃留霊王の墓があり、その墓の周りに讃留霊王にまつわる地名があります。
北條池と府中湖がつながっている所。府中湖側から撮影。
北條池と府中湖がつながっている所。府中湖側から撮影。
北條池側です。
萱原橋の上から、北條池を見る。
萱原橋の上から、北條池を見る。
萱原橋の上から、府中湖を見る。
府中湖には、釣りをしている人がいました。
北條池の北西には、島があります。
島へ向かう途中。
島へ向かう途中。
幸右衛門橋という名前らしい。
島の西の橋。池に張っている縄のアンカーらしきものがありました。
島の様子。
北條池の南の道には、金毘羅大権現と彫られた石燈篭がありました。
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